2018年2月14日水曜日

小田原寺子屋スクール 平成30年2月度の授業

平成30年2月11日(日)に2月度の授業を行いました。

【第一時限】栗田亘先生

 栗田先生は、一月半ばに仕事で岩手県の陸前高田市を訪問されました。今月は、その時の光景から思い出された中国の詩、言葉について解説して頂きました。陸前高田市は2011年3月の東日本大震災で発生した大津波によって何もかもが流され、7年経った今も土地の造成や道路の建設が続いています。市内には、当時の被害を未来に残すため、いくつかの「震災遺構」があります。海岸沿いに約17万本あった松の中で唯一生き残った「奇跡の一本松」、「気仙中学校」の校舎や5階建ての「旧下宿定住促進住宅」を映像で紹介して頂きました。
 「桑田(そうでん)変じて海と成る」は、中国・唐の時代の詩人、劉希夷の詩「白頭を悲しむ翁に代わって」の一節で、世の中に存在するものは、どれもこれも、いつの間にか衰えていくという意味です。「愚公(ぐこう)山を移す」は、中国の古典『列子』に出てくるエピソードです。昔、黄河の下流の岸辺に二つの高い山があり、その北側のふもとに愚公という老人が住んでいました。その山は人々の通行の妨げになっていたので、愚公は家族全員で山を崩して平らにすることにし、いつ完成するか分からない仕事にこつこつと取り組みました。神様は愚公の努力に感心して二つの山を他の場所に移した、ということです。愚公の「愚」は愚直という意味、「公」は親しみを持つ呼び名であること学びました。

【第二時限】向江隆文先生(元NHK沖縄放送局長)

 向江先生は、2012年から2015年にNHK沖縄放送局長を務められ、現在はNHKグローバルメディアサービスでご活躍中です。授業では、先生が沖縄で撮影された多くの写真を交えながら、沖縄の歴史、3つの悲劇とタイトルにある沖縄のことば、”ぬちどうたから”や”ちむぐくる”について解説して頂きました。
 沖縄の歴史は、1429年に成立した琉球王国の時代に遡ります。当時は中国との交流が盛んで、明の皇帝に朝貢し、琉球王国の国王として認めてもらいました。これを「冊封(さっぽう)」と言います。首里城祭では毎年、冊封の儀式が再現されています。東アジアの中継貿易で栄えた15世紀の大交易時代を経て、1609年、沖縄に最初の悲劇が訪れます。薩摩藩による侵攻です。これ以降、琉球王国は薩摩藩の支配を受けることになります。1879年には、第二の悲劇、琉球処分が明治政府によって行われ、琉球王国は滅亡、沖縄県が設置されました。そして、第三の悲劇1945年の沖縄戦で約20万人が犠牲になりました。当時の沖縄の人々の悲痛な叫びは「根こそぎ動員」「鉄の暴風」「一家全滅」「集団自決」といった言葉に表われています。1952年、日本は主権を回復しましたが、沖縄は1972年に返還されるまでの27年間、米国の施政下に置かれ、今も米軍機の事故や米軍人や軍属による事件、基地の移設問題など様々な問題を抱えています。
 ”ぬちどうたから”は命を大切に、”ちむぐくる”は家族や地域をはじめヨコのつながりを大切にする沖縄の人の温かいこころ、気持ちを意味する言葉で、沖縄の歴史と深い関係があることを教えて頂きました。

 次回、3月度の授業は、3月11日(日)を予定しています。第一時限は栗田亘先生、第二時限は伏見勝先生(元報知新聞社長)をお招きします。伏見先生の講義タイトルは「強い大人になるーそのための読書・・・ー」です。